告別式を終えて
昨日、滞りなく告別式を終えました。
告別式も途中まではそんなに感情的になることもなかったのですが、献花の時に、こらえていたものがいっきに吹き出してしまい、その後の最後の挨拶も半分泣きながらのものになってしまいました。
「男だったら人前では泣くな」
と小さい頃に父親に言われてきたのですが、結局その教えを守る事ができず、きっとあの世でうちの父親怒っているんでしょうね(苦笑)
昔は告別式をやる意味とかって正直よくわからなかったのですが、今回自分が当事者として関わってみて、色々な意味で"一区切り付ける"ためにも、必要なことなのかなと感じました。
こういう区切りをつける式がないと、なんとなく気持ちの奥底に哀しみという感情がズルズル残りそうな気がするし、告別式でひとしきり泣いた事で近しい人の”死”によって生じたストレスも多少は洗い流されたような気がします。
うちの父の人生
今回父の様態が悪化したときに家族で集まって、「お父さんはxxだったよねー」という感じの昔ばなしに花が咲いたから、ちょっとだけうちの父親のことについて触れておきます
ほとんど遊んでいた?
10年以上前に父が倒れてからは、体も不自由になり、最後の数年間はほぼ寝たきりの状態だったのですが、それ以前までは、ものすごく自由奔放な生活をしていたと思います。
自分が子供の頃の記憶ってあんまりないんだけど、たしか5歳前後の頃に、ハーレーダビッドソンのサイドカーに載せられて、横浜の方までドライブにつれてってもらったし、そのハーレーも初めてかったのではなく、すでに過去何台か乗っていたらしい(しかもほぼ全部新車)
バイクに乗るのを辞めてからは、四輪車になり、昔の人にはきっと懐かしのフレーズの「いつかはクラウン」を地で行くように、クラウンを買って、その後は王道(?)のベンツにも行き着きました。
車以外にも、ゴルフにもはまって、仲間と連れ立っては海外にゴルフしに行ったり、ひどい時には、週4,5日位、ゴルフ場に行ってたりしてました。
そのころはすでに自分も小学生〜中学生位だったので、「うちの父親ろくに仕事している感じがしないけど大丈夫なんだろうか」とちょっとは感じたことがありました。
※その分、うちの母親が影で色々と支えてくれていたのと、ゴルフも全て遊びで行っていたわけではなく、接待というか人付き合いの一種だったみたいです。
人付き合い上手
うちの父親はほんと人付き合いが上手だったとあらためて思います(残念なことに、自分はこの血をうまくついでないんだよね・・)
特に象徴的だったのは、長年お世話になった病院で面倒を見てくれてきた看護師さんたち。
自分は直接聞いてないのですが、日勤と夜勤の人の申し送りをする時にたまたまうちの姉が近くにいたらしく、その時に看護師さんたちがうちの父親のことを「昇ちゃんの様態は・・」という感じでニックネームで呼んでました。
実際、検温の時とか、おむつ変えるときにも、看護師さんが声をかけるときに「昇ちゃん、ちょっとごめんねー」っていう感じで話をしていました。
小さい時にも、父親に連れられて外出したり旅行した時なんかでも、相手を気持よくさせる人付き合いみたいなことを自然にしていたしそういう気質があったから、長年社長として小さいながらも自分の会社の経営が出来ていたのかなぁーと思います。
※とはいえ、自分が気に入らない人とは絶対に親しくしないという一面もあったし、それが原因で昔近所の商店街の玩具屋さんで、大暴れして警察沙汰になったし、そういうのは一度や二度ではないしね・・
人を見抜く目
母親から昔ばなしの中で聞いたことなんだけど、とにかく人を見る目が昔っからすごかったみたい。
自分が気に入る人とは、目先のお金のこととかはあまり気にしないで付き合っていたみたいですが、たぶんその時の人を見る目が確かだったからこそ、長年にわたって会社の経営がうまくできていたのかと思います。
うちの会社は余程のことが無い限り現金決済していたそうですが、手形決済の場合でも、なんとなくキナ臭い感じがしてきたら、なんだかんだ理由をつけてはしっかりお金を回収してきたそうです。
このあたりは自分の今の仕事にも多少通じるところがあるのでわかるけど、人を見る目っていうのはどんな職業の人でも共通のスキルなんだなーと今回昔話を聞いて感じました
家族想い
自営業だったからというのもあるのですが、うちの父親は、ゴルフで旅行に行っていたりしない限り、ほぼ毎日といっていい程、夕ごはんは一緒に食べていました。
自分の家ではそれが普通の光景だったから、自分自身でも余程のことが無い限り仕事終わったら家族と一緒に御飯を食べるという行動になってます。
あと、正直記憶があまりないんだけど、うちの父親は意外と料理をしていたらしく、うっすら記憶にあるのが手打ちうどん。
うどん生地を足で踏んでこねて、それを綿棒で伸ばして作ってくれたのは一度や二度ではなく何度かあるし、自分たち姉弟も足でふむのを手伝った記憶があります。
このうどん作り意外にも、牛テールスープを作ってくれたことがあったらしくそれは自分は全く記憶になく、うちの姉が「あの牛テールスープ旨かった」と昔話をしていて、どんだけ美味しかったのか思い出せずちょっと悔しかった・・・
こうやって父親のことを書いていても、数日前の心境よりは落ち着いて振り返る事ができてることに改めて気づきました。
ここ数日の出来事で疲れが溜まっているのはすごく実感してて、背中のハリがなかなか取れない(たぶん少し食べ過ぎ&飲み過ぎ)のですが、無理せず少しづつ日常生活に戻すようにしていこうと思います。