ちょっと前にうちの会社に登録に来たとっても素敵なAdobe AIR、Flexが出来るちょっとインフォメーションアーキテクトっぽい人との雑談の中で
「アルビントフラーの第三の波 (中公文庫 M 178-3)を読むと産業構造の生い立ちみたいなのがわかり、最近読んだオススメ本ですね」
という話を聞いたので図書館で探したけど見当たらないので、別の本だけど富の未来 上巻を借りて、2/3ほど読み終えて途中途中で色々考えさせられる箇所があったのですが、「職の将来」という章についてちょっとだけ紹介
昔の人たちのほとんどは職についたことがなかったというと、驚く人が多いかもしれない。金持ちだから職につかなかったのではない。絶望的なほ貧しい人がほとんどだった。職につかなかったのは、「職」がまだ発明されていなかったからだ(いまの感覚での職、つまり決められた仕事をして、決まった給料を支払われる仕組みはなかった)。
富の未来 上巻P.68より
今の時代に生きていると、職というのと仕事というのを同一視していたけど、そもそも昔に、xxxな領域で働く場合には○○な職というのを誰かが定義してそれが今につながっているわけだけど、昔に定義された職っていうのが今後もずっと成り立つかどうかっていうのを一歩引いて考えれば、すべての職が今後も存在するかっていうのは確かに疑わしいのかも。
実際、上記引用箇所に続く言葉として
職は仕事の方法のうちのひとつにすぎない。そして、知識に基づく最新の富の体制が本格化するとともに、後に論じるように、「仕事」をする人が増える一方で、「職」につく人が少なくなる将来の姿に近づいていくだろう。
富の未来 上巻P.68より
ということが書かれていましたが、世の中で働いてる人全員が「職」につかなくなるっていうことは流石にないだろうけど、今までのような形で「職」につく人達っていうのはもっと1人1人の生産性があがれば、少なくなっても別に良いだろうし、家事なんかに代表される本質的には「仕事」のはずなのに、その価値が正しく認められていないものというのが、しっかりと再定義されることの方が健全なんじゃないかなぁーって思ったりします。