父が亡くなりました
昨日の7月14日の未明にうちの父が無くなりました。
こういう人の"死"についてブログに書くのは何となくタブー視される感じがありそうですが、自分の気持ちの整理をする意味でも、現在感じていることを素直に書き連ねておこうかと思います。
経緯
元々、うちの母親が色々気を使って、余程のことが無い限り、自分と姉2人には父親の様態について教えてくれることはありませんでした。
実際、6月27日に入院していたのですが、その事を知ったのも、数日後の6月30日(木)の帰宅途中。
携帯に着信があり、見たら実家からで、実家から滅多なことでは電話がないので、何となく嫌な予感はして電話したら「父親の様態が良くないから、出来たら病院来て」と言われました。
急いで病院行って父親の顔を見たら、自分が想像していたよりはまだ良かったけど、それでも正直先は長くないとその時感じてました。
ただ、自分の中では、10年以上前にうちの父親が倒れた時点で、それまでの父は死んだという感覚が心のどこかにずっと存在した状態で、その心の状況と現実がついにというかやっとというか一致する日が来たんだという気持でした。
6月30日(木)に会って、その後も何度か病院に通っていたのですが、少しづつ様態は悪い方向に向かっていました。
亡くなる2日前の7月12日に通常通り仕事をしてて、午後2時頃に、当日やらないといけない最低限の仕事を片付けたので、そのまま半休もらって病院行こうと思ったら
呼吸が荒くて調子悪いので、都合ついたら病院きて。
というメールをPM2:30頃に姉からもらい、急いで病院行ったら、これまで見てきた以上に状況が深刻でした。実際、
お医者さんたちの雰囲気からして、 うちの父親もうだめみたい。
とうちの奥さんにPM4:30頃メールしていたのですが、お医者さんたちが
- これまで投与していた抗生剤を中止
- 少し伸びていた父親のヒゲを剃ったり、おむつを新しいのに替えたりして身支度を整え始めた
という行動を見て、なんとなくそういう雰囲気を感じ、心の準備をしました。
家族全員で父親に声をかけていたのが功を奏したのか、翌日になって少し様態回復し、しばらく様態安定する感じがしたのと、自分もここ数日仕事と病院との往復で疲労蓄積していたから、午後になって自宅に帰り、夜ご飯を家族と一緒に取って早めに寝ることにしました
14日の夜中(たぶん2時頃)に一度目が覚めて、まだもう少し寝れると思って、再び床に就いてしばらくしたら、電話がかかってきてうちの父親が亡くなったのをその時に知りました。
母親からは、病院来てとも何とも言われなかったこともあって、当初何をしていのかよくわからない状況でした。(実際、ひとまず寝ようかと思って横になりかけたし(苦笑)
ただ、少し考えてとりあえず病院行かないと状況把握できないと思って、うちの姉にメールで状況だけ伝え、タクシーを呼んで病院に向かい、息を引き取った父親の姿を目にした時に、亡くなったという現実に直面して、泣かないと決めていたのですが流石に我慢しきれませんでした。
しばらく病室で父と一緒にいたのですが、母親が葬儀の手配の段取りをする業者の方と連絡が取れて、午前7時に実家で具体的な話をしたいということになり、午前6時頃に病院を出て、病院近くの松屋で、久しぶりに松屋の朝定を満喫。
その後、実家まで10分ほどの距離を歩き、予定の7時になったら、業者の方がいらしてくれて、今後のことに着いて打ち合わせ。
サクっと終わるかと思ったのですが、意外と決めないといけないことが多く、結局3時間後の10時に完了。
その後も
- 10時30分頃:うちの父親を一旦自宅に連れてかえってから納棺の儀をする段取りにしていたのですぐに病院に戻って、死亡診断書もらったりする
- 11時:予定通り霊柩車が来たので急いで支度をして、実家に向かう
- 12時頃:父親を一旦自宅に寝かす作業を手伝ったり、ちょっと買出しいったり、合間に近所のお店で唐揚げ定食を食べたりする
- 13時頃:義兄とその子供たちが到着
- 14時頃:納棺の儀開始
- 15時頃:儀式終了。お通夜の日まで、うちの父親は霊安室で過ごす手はずにしていたので、業者の方にその段取りをお願い
という感じで、16時頃まで一息つく暇がなかった感じです
突然の死ではないから、心の準備をする余裕があったとはいえ、すべてを乗り越えることが出来ているかというと、正直そこまでには至ってないかなと思います。
実際、昨日もうちの娘が無邪気に「じぃじぃ頑張れ」って話していた姿を見て、「もうじぃじぃはいないんだよ」という言葉をかけることも出来ず、涙が出てしまうような状況でした。
今朝も、軽くジョギングしている中で、これまでのことを想いだしてしまうことがあって、少し涙ぐみそうになることもあったし、しばらくはこういう状況が続くかなと思います。
ただ、こうやって文章を書くことで、自分の中では、現実に向き合って、それについて対処出来る事・まだ出来ない事が整理できるような感覚があるので落ち着くまではしばらくこうやって文章を書いていくことを通じて、父親の死を乗り越えていこうかと思います。